第九章 心の重石(盛夏)~放下著(放下着)~

ある蒸し暑い夏の日、朴念は過ちを犯した。夕餉(ゆうげ)の後片付けをしていた時のことだ。

手に持っていた皿を床に落としてしまったのだ。ガシャーン! 静かな台所に、陶器の割れる音が響き渡った。それは、老師が長年愛用していた、絵付けの美しい古皿だった。

「申し訳ございません!」 飛んできた老師に、朴念は額を床に擦り付けて謝った。

老師は散らばった破片を一瞥すると、静かに言った。

「形あるものはいつか壊れる。怪我はないか? ならばよい、片付けておけ」 咎める言葉はなかった。だが、その寛容さが逆に朴念を苦しめた。

(俺はなんてドジなんだ。取り返しがつかないことをしてしまった……)

その夜、布団に入っても割れた皿の映像が脳裏に焼き付いて離れない。翌日も、その翌日も、皿を見るたびに手が震え、仕事が手につかない。また割るのではないかという恐怖と、過去の失敗への悔恨(かいこん)が、朴念の心に重くのしかかっていた。

見かねた老師が、台所から漬物石を持ってこさせた。

「朴念、それを持て」

「は、はい」 言われるままに、重い石を胸の前で抱える。ずしりと重力が腕に食い込む。

「重いか?」

「はい、かなり……」

「そうか。では、ずっと持っておれ」 老師はそのまま立ち去ってしまった。

朴念は訳も分からず石を抱え続けた。

十分、二十分。腕が痺れ、筋肉が悲鳴を上げる。脂汗が額を伝う。

(苦しい、下ろしたい。でも、老師の言いつけだ。落としてはいけない……)

石の重みは、まるで自分の罪の重さそのもののようだった。

一刻(いっこく)ほども経っただろうか。指先の感覚がなくなり、もう限界だと思った頃、ようやく老師が戻ってきた。

「まだ持っておるのか。……下ろして楽になれ」

朴念の手から力が抜け、石がドスンと床に落ちた。途端に、鉛のようだった体に血が巡り、羽が生えたような浮遊感が襲った。

「石を下ろせば楽になる。体ならそれが分かる」 老師は朴念の目を覗き込んだ。

「なのになぜお前は、過ぎ去った『失敗』という石を、いつまでも心に抱え込んでおるのだ? 割れた皿は戻らん。だが、お前の心は今すぐにでも軽くできるはずだ」

朴念はその言葉を聞きながら、震える手を見つめた。今、石を手放したこの感覚。以前にも、これと同じ感覚を味わったことがあった気がする。

あれは、この寺に来た最初の日だ。「絵筆」という、自分の命そのものだと思っていたものを、老師に取り上げられた時のことだ。

かつて直介にとって、絵は全てだった。都の華やかさに溺れ、借金にまみれても、絵筆だけは手放せなかった。「絵を描くこと」だけが自分を自分たらしめていると信じ、その重みに押し潰されそうになりながら、泥沼の中でもがき続けていた。あれは、夢や希望などという綺麗なものではない。逃れられぬ「執着」という名の、巨大な石だったのだ。

この寺に来て、老師は言った。「ただ働き、ただ食え」と。それは、直介から無理やり絵を奪い取る仕打ちに思えた。絵を捨てれば、自分は空っぽになって死んでしまうと恐怖した。

だが、どうだ。絵筆という重石を下ろされ、強制的に「絵」から引き剥がされたことで、初めて自分は「生きる」ことの尊さを知った。朝日の美しさに気づけた。他人の痛みが分かるようになった。一度捨てたからこそ、今、枯山水の庭で、以前よりも澄んだ心で砂紋を描くことができている。

(ああ、そうか……)

捨てることは、失うことではない。執着という重荷を下ろし、身軽になった心で、改めてその対象と向き合い直すことなのだ。

朴念は涙ぐみながら、深く頭を下げた。「……ありがとうございます」

皿への悔恨と共に、心の奥底にこびりついていた「かつての自分(絵への未練)」が、音を立てて剥がれ落ちていく気がした。

執着を捨て去れ。腕に残る石の重みの記憶と、絵筆を奪われたあの日の痛みが重なり合い、朴念の魂に深く刻まれた。後にそれを「放下著(ほうげじゃく)」と知る。

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「放下著」か「放下着」か…?

「着」という字は、もともとは「著」の草書体から生まれたものだとされています。「著」は、チョと読んで「あらわす」という意味を表す場合の他に、チャクと読んで、いろいろなものを身につける「きる」という意味を表す場合もありました。それが、字形上、「着」が独立するにつれて、「チャク=きる」という意味は「着」が担うことになり、「チョ=あらわす」という意味だけが「著」に残ったそうです。