第一章 乞食坊主と直介

田舎の商家の三男坊として生まれた直介(なおすけ)は、小柄で栗鼠(りす)のように愛らしいつぶらな瞳を持っていた。寺子屋で読み書きを習えば誰よりも早く覚え、口を開けば大人顔負けの話しぶりで周囲を笑わせる。おまけに絵を描かせれば、本職の絵師が舌を巻くほどの神童であった。「この子は将来、大物になるぞ」 親も周囲もそう信じ、直介自身もまた、自分は特別な人間なのだと疑わなかった。

十歳の時、直介は期待を一身に背負い、都の大きな商家へ丁稚(でっち)奉公に出された。持ち前の機転と愛嬌、そして要領の良さは都でも通用した。言われる前に仕事を片付け、客の懐に飛び込むのが上手い直介は、すぐに主人に気に入られた。

だが、都という場所は、田舎者の少年には刺激が強すぎた。

ある日、直介は納品先で、絵を志す若者たちの集まりを知った。彼らと絵について語り合う高揚感は、退屈な商いなど比にならなかった。直介は仕事の合間を縫って彼らとつるむようになり、己の才能を誇示した。

「直介の絵はすごい、都でも通用するぞ」 おだてられ、直介はますますのめり込んだ。

良い筆が欲しい、美しい岩絵具が欲しい、珍しい紙が欲しい。画材への執着は金食い虫となり、付き合いでの浪費も嵩んだ。

給金だけでは足りず、ついには怪しげな金貸しから借金をするまでになった。返済に追われ、絵に没頭するあまり仮病を使って仕事を休む日が増えていった。

奉公に出て二年あまり。ついに主人の堪忍袋の緒が切れた。

「腕はいいが、商いより絵が大事なようだな。ここにお前の居場所はない」

暇を出された直介は十二歳になっていた。借金取りに追われ、皆に合わせる顔がないと故郷へも帰れず、直介は都の暗がりへと逃げ込んだ。

都の橋の下。そこがかつての神童と言われた直介の新たな居場所となった。腐った水と排泄物の臭いが漂う河原で、薄汚れた筵(むしろ)に身を横たえる。通りすがりの通行人を呼び止め、似顔絵を描いては日銭を稼ぐ。

かつて夢を描こうとしたその腕は、今やただの「物乞いの道具」に成り下がっていた。

ある寒い暮れ六ツ、一人の怪しげな坊主が直介の前に立った。垢じみた衣に、伸び放題の髭。その風体は直介ら浮浪の民と何ら変わらない。

「俺を描け」 坊主は言った。

直介は鼻で笑った。どうせ懐には一文銭も入っていないだろう。(俺の筆は、こんな薄汚い坊主を描くためのものじゃないんだ) 心の中で毒づきながら、直介は薄墨を含ませた筆で反古紙(ほごがみ)をなぞった。

相手の顔など見もしない。数秒で描き上げたのは、人の顔ともつかぬ滑稽な落書きだった。

「とっとと行け」 投げやりに渡すと、坊主はその紙切れを睨みつけ、低く唸った。

「なんだ、この下手糞な絵は。これで銭を取る気か」 坊主は紙をクシャリと握りつぶし、金も払わず闇へ消えた。

翌日も、乞食坊主は現れた。直介は邪魔だとばかりに手を振ったが、坊主は汚れた布包みを放ってよこした。中には歪な握り飯が一つ。「昨日の駄賃だ」

数日ぶりにまともな米を口にした直介は、涙が出るほど美味いと感じた。と同時に今の惨めさに奥歯を噛みしめた。

三日目。三度坊主が直介の前に立つと、直介は無言で筆を執った。今度は顔を上げた。坊主の深く刻まれた皺、鋭い眼光、そしてどこか寂しげな口元。

(描いてやる。俺の本当の腕を見せてやる)

墨は相変わらず薄く、紙も粗悪だ。だが、そこには確かな「目」があった。

かつて故郷で神童と呼ばれた頃の、直介の筆致(ひっち)が宿っていた。坊主は受け取った絵をじっと見つめ、懐から熟れた柿を三つ取り出して直介の膝に置いた。

「……次からは、決して手を抜くなよ」 それだけ言い残し、坊主は夕闇に溶けていった。

それきり、坊主は姿を見せなくなった。

貰った柿はとうに尽き、直介は再び飢餓の淵にいた。橋の下の湿った土に寝転がりながら、直介は空を見上げた。汚れた天井板の隙間から、都の空が見える。

(どうしてこうなった……俺はもっと上手くやれるはずだったのに)

後悔、羞恥、絶望。それらが走馬灯のように駆け巡るが、乾いた目から涙は流れない。ただ終わるのだ。誰にも惜しまれることなく、このドブ川の側で。

その時だった。視界が急に遮られた。見上げると、屈強な男が二人、直介を見下ろしている。紺の作務衣を着た、雲水(修行僧)たちだ。

抵抗する気力もなく、直介は目を閉じた。

「立て」と短く命じられ、両脇を万力のような力で掴み上げられる。足が地につかないまま、直介は引きずられるように歩かされた。

(これで俺も終わりだな……)

都の大通りを抜け、喧騒が遠ざかる。

半時ほど歩かされた頃、不意に拘束が解かれた。膝をついた直介の目に飛び込んできたのは、燃えるような夕焼けに染まった山々と、静寂の中に聳え立つ白壁の築地塀(ついじべい)だった。

その威容(いよう)を誇る大寺の山門が、まるで大きな口を開けるようにして、十二歳の直介を待ち受けていた。