修行僧にとって、経とは「習う」ものではない。「盗み、覚え、刻む」ものである。朝の勤行(ごんぎょう)、夕の座禅。堂内に響く先輩僧たちの読経を耳で聞き、見よう見まねで覚えるしかない。手取り足取り教えてくれる時間など、この寺には用意されていなかった。
はじめの頃、朴念は途方に暮れた。(どうすりゃいいんだ? 呪文のような言葉ばかりで、さっぱり頭に入らねえ) だが、そんな愚痴をこぼせば、良くて飯抜き、悪ければ「頭を冷やしてこい」と数日の間、都大路まで托鉢(たくはつ)に出されるのが落ちだ。
無論、日々の作務は減らない。水汲み、掃除、薪割り、千太の尻拭い。寝る間など殆どない。それに比べれば、作務の合間に懐の書付を取り出し、一文ずつ目に焼き付ける方が遥かに楽だった。
幸い、朴念は田舎の父母のおかげで、読み書きだけは人並み以上にできた。寺の経典を書き写し、それを懐に入れて、掃除の合間や煮炊きの待ち時間にブツブツと唱える。それが朴念の新たな日課となった。
とはいえ、紙は貴重品である。下働きの身分で贅沢に新しい紙など使えない。そこで朴念は、筆を許されてから描き溜めた絵の習作や、書き損じの反古紙(ほごがみ)の裏を利用することにした。表には絵、裏には経。奇妙な「絵経(えきょう)」が、朴念の懐の中で増えていった。
ある春の日のこと。朴念が山門の近くを掃き清めていると、ふわりと柔らかな春風が吹き抜けた。懐に入れていた紙の一枚が、着物の合わせ目からスルリと抜け出し、舞い上がった。「あ!」 紙はひらひらと風に乗り、ちょうど山門をくぐってきた男の足元へ落ちた。身なりの良い、近くの村の名主(なぬし)だった。
「おや」 名主は紙を拾い上げると、まじまじとそれを見つめた。朴念は箒を放り出して駆け寄った。
「も、申し訳ございませぬ!お目汚しを……」 慌てて回収しようとする朴念を制し、名主は感嘆の声を上げた。
「これは……この絵とお経は、お坊様がお描きになったのですか?」
「は、はい。紙が惜しいもので、裏に経を……」 朴念が照れ臭そうに頭を掻くと、名主はありがたそうにその紙を押し頂いた。
「さようでございますか。絵の入った経典など見た事もありませんでしたが、なんとも仏様の言葉が景色に溶け込み、心に沁みるようですな」
朴念はこっそりと胸を撫で下ろした。名主が拾ったのは、つい先日――雪の残る冬の朝に描いた、静謐(せいひつ)な雪景色の絵だったからだ。もしこれが、「桶をひっくり返して白目をむく千太」の絵だったなら、仏の言葉どころか、腹の皮がよじれるところだったろう。
それからというもの、名主は頻繁に寺を訪れるようになった。表向きは老師への挨拶だが、帰り際にこっそりと、紙に包んだ菓子などを朴念や千太に握らせてくれた。「若い衆は腹が減るでしょう。お茶請けにでもしなされ」
もちろん、二人は一度は遠慮するし、受け取っても必ず老師に見せる。だが、そこは老師のことだ。「さっさと口に入れてしまえ。兄弟子たちに見つかれば没収だぞ。ちゃんと二人で分けるんだぞ」 そう言って目こぼしをしてくれるのがお決まりだった。
甘い菓子など滅多に口に入らぬ時代、名主の来訪は二人にとって密かな楽しみとなった。
そんなある日。いつものように名主が訪れ、老師と話し込んでいた時のことだ。「朴念。ちょっと参れ」 奥の間から老師の声が掛かった。行ってみると、名主が畳に手をつき、真剣な面持ちで朴念を見上げた。
「朴念様。折り入ってお願いがございます」
話というのは、三河(みかわ/現在の愛知県東部)の国にある寺まで使いに行ってほしい、というものだった。三河といえば、都から遥か東。いくつもの国境と山河を越えて行かねばならぬ遠国である。
時は、足利義満(よしみつ)公の治世。都では北山に金色の楼閣が築かれ、明国との交易も盛んになり、世はまさに黄金の時を迎えようとしていた。だが、その光が強ければ強いほど、影もまた濃くなるのが世の常だ。
ほんの数年前、西国の有力守護が幕府に叛旗を翻した「応永(おうえい)の乱」が勃発し、都はその返り血を浴びたばかりだった。華やかな京の通りの裏には、未だ焼け出された民や、戦で行き場を失った者たちが溢れていた。
名主・頼吉が語り出したのは、そんな血なまぐさい時代の奔流(ほんりゅう)に翻弄(ほんろう)された、自身の一族の話だった。
「私の実家は、三河国を治めるご領主一族の末端に連なる武門の出でしてな。氏は今川(いまがわ)と申します」 足利将軍家の一門である名族だ。
「祖父は、足利尊氏公の天下取りの戦に従い、坂東から九州まで、あらゆるところで戦いました。そうして戦に明け暮れ、今の公方様(義満)が将軍職に就かれた頃、ようやく刀を置き、故郷の三河で眠りにつきました」
今年は、その祖父の三十三回忌にあたるという。だが、頼吉の口調は重かった。彼が背負っているのは、祖父の死だけではなかったからだ。
「私の父もまた、祖父と共に尊氏公、そして義詮(よしあきら)公のために戦に明け暮れました。南北朝の争いとは、まさに『昨日の友は今日の敵』。足利の一族でさえ敵味方に分かれ、裏切りと寝返りが繰り返される修羅の道でございました。都は幾度となく戦場となり、主を変えました」
ようやく、明徳三年(一三九二年)に南北朝の和約が成り、世に平穏が訪れたかに見えた。だが、武士とは因果な生き物だ。戦がなくなれば己の価値を見出せぬのか、あるいは飽くなき欲望ゆえか、再び殺し合いを始める。応永六年(一三九九年)、応永の乱が勃発。頼吉もまた、老域に達していた父と共に、一族郎党を率いて幕府軍として駆り出された。
「……あの戦で、私は父を亡くしました。そして、我らを支えてくれた多くの家人たちも、堺の炎の中で散りました」
頼吉は、ぎゅっと膝の上の拳を握りしめた。そこにあるのは「名誉の戦死」などという美談ではない。ただの殺し合いだ。昨日まで酒を酌み交わしていた仲間が、今日は肉塊となって転がる。勝てば官軍、負ければ賊軍と言うが、所詮はどちらも刀を持った人殺しに過ぎない。力で農民を支配し、奪い、殺す。それがこの国の「武士」の正体だ。
「私は、その時思ったのです。もうたくさんだ、と」
頼吉は、父の骨をこの嵯峨野の寺に埋めると、自らの姓を捨てた。「今川」という、血と権威に塗れた名を捨て、この地の先代名主の一人娘を娶り、婿として入ったのだ。名主といえば、田畑を直接支配する「小さな王様」である。有事となれば武装して戦うが、頼吉はもはや、誰かの天下取りのために刀を振るう気はなかった。
「私は、人殺しはもう御免だ。侍だの武家だのと偉そうに踏ん反り返る連中とは縁を切り、土と共に生きる『只(ただ)の頼吉』になりたかったのです」
彼が頻繁に寺を訪れ、朴念の絵を求めたのも、戦で散った父や家人たちの供養のためであり、殺伐とした記憶を、墨絵の静寂で慰めたかったからなのだろう。父の墓はこの寺にある。日々の参りもできる。だが、三河に眠る祖父だけは、三十三回忌という節目でありながら、今の頼吉には遠すぎた。
「本来なら私が参るべきですが、先の戦で働き手を失った村の立て直しや雑務が多く、長く家を空ける訳にも参らず……。そこで、祖父の眠る故郷の菩提寺に供養の品を届け、経を上げていただきたいのです」
「ですが……」 朴念は戸惑った。「私のような若輩でよろしいのですか? 遠国への使いなど、もっと足の早い者や、手練れの者を雇えば……」
頼吉は首を振り、居住まいを正して朴念を見つめた。「他でもありませぬ。朴念様に、旅の様子と、菩提寺での供養の様を『絵』に描いてきていただきたいのです」
「絵、ですか?」
「はい。あの『絵経』を見た時、思いました。この方の描く絵には心がある、と」 頼吉は懐かしむように遠くを見た。
「私はもう、二度と故郷の土を踏むことはないでしょう。今の生活を守るため、過去とは決別したのですから。ですが……やはり、祖父や父が眠るあの三河の風景が、無性に恋しくなる夜があるのです。どうか、朴念様のその筆で、今の三河の風を、景色を、そして供養の様子を持ち帰ってはいただけないでしょうか」
朴念は老師を見た。老師はいつもの不愛想な顔で、しかし力強く頷いた。
「行ってこい。三河までは往復で一月(ひとつき)半はかかろう。お前は今年で十五。世間ではもう一人前の男だ。己の足で歩き、己の目で世を見てくるのも修行のうちよ」
十五歳。元服を済ませ、戦場に出る者もいる年齢だ。もはや子供ではない。朴念の腹の底に、熱いものが込み上げた。それは旅への不安でもあり、まだ見ぬ世界への高揚でもあった。そして何より、「人殺し」の業に苦しみ、故郷を捨てざるを得なかった男の、最後の手向けを手伝うことへの責任感が、朴念の背筋を伸ばさせた。
頼吉が差し出した包みの中には、分相応な供養料が入っていた。それは、かつて「人殺し」の片棒を担いだ男が、せめて人間としてあろうとする、悲痛な祈りの形なのかもしれない。
「……承知いたしました。そのお役目、つつしんでお受けいたします」朴念は深く頭を下げた。
懐の中で、あの雪景色の絵経が衣擦れの音を立てた気がした。名主・只野頼吉。「只の人」になりたいと願った男の、捨てきれぬ業(ごう)と祈りを背負い、朴念は旅立つ決意を固めた。
