第十三章 道連れは泣き虫と古強者

旅立ちの決意は固まったが、実際に寺を出るまでは苦難の連続だった。朴念が抜けた穴をどう埋めるか。寺の作務については、名主の頼吉が、「わしの頼みで抜けるのだから」と、村から臨時の男を一人雇い入れ、万事滞りなく手配してくれた。

問題は、仕事ではなかった。「人」である。

「嫌だ嫌だ! 俺も行く! 連れてってくんろ!」 千太だった。朴念が一月半、ともすれば二月(ふたつき)は戻らぬと聞いた瞬間、千太は火がついたように泣きわめき出したのだ。

「朴念様がいなきゃ、誰が俺の尻拭いをしてくれるんだ! 誰が俺の飯を美味そうに盛り付けてくれるんだ!」

「お前なぁ……自分の尻くらい自分で拭け」 朴念が諭しても、兄弟子が叱りつけても、千太は朴念の袖を掴んで離さない。「置いていくなら、俺も寺を出る! 朴念様の後をついていく!」

こうなると、千太はテコでも動かない。小僧の戯言と切り捨てるには、その必死さはあまりに強烈だった。困り果てたのは朴念だけではない。兄弟子たちも、そして老師さえもがほとほと手を焼いた。

そして、ついに千太は名主の頼吉に直訴した。「お願いでごぜえます! 俺も連れて行ってくだせえ!」

 寺の者たちも止められぬほどの剣幕で頭を下げる千太に、頼吉も苦笑いである。

「困りましたな、千太さん。都を出れば街道には当たり前のように人さらいや盗賊がいて、獲物になりそうな旅人を狙っているんですよ。どうなるか分かりませんよ。覚悟は出来ているのですか」

頼吉が静かに尋ねると、千太は唇を噛みしめたまま、何も応えずに頼吉をじっと見つめ返した。言葉にすれば嘘になる。だが、退く気配はない。その横顔を見ながら、傍らで朴念は思案した。

朴念には千太の本音は見えていた。否、恐らく皆、千太の本音など見えていたのだ。本当のところ「理由などない」のだ。ただ都の外が見たい。知らない世界を見てみたい。それだけである。それは誰もが一度は抱く、抑えきれぬ「衝動」なのだ。

朴念が奉公の為、故郷から都までの長い道のりを旅したのも、今の千太と同じくらいの歳であった。今はもう細部をよく覚えてはいないのだが、旅に出る前に同じような「胸の高鳴り」を覚えていた気がする。

恵まれた事に、朴念(当時は直介)の実家は商家を営んでおり、奉公先の都の商家との間でしばしば荷駄(にだ)を交わしていた。幼かった直介は、荷駄を運ぶ「馬借(ばしゃく)」や「車借(しゃしゃく)」と呼ばれた、現在で言うところの運送業者兼護衛に守られ、都まで来たのである。

当時は、「土岐康行(ときやすゆき)の乱」の後で、坂東から都に上る道筋には、多くの没落武者が盗賊となって荷駄を襲う事件が頻発していた。幸い朴念の一行はそうした被害に遭わずに都に辿り着けたが、街道脇に転がる骸(むくろ)や、焼き払われた集落の跡を見て、旅は命がけという事は幼い朴念の身にも染みたのだ。

今は幸いにも、先の応永の乱の後、政権も安定し、大きな戦はなりを潜めていた。乱の直後には家を焼かれた者や、食い扶持を失くした武士という名の殺人鬼が巷に溢れたが、それらもどうにか新しい住処と仕事を見つけ、人間らしい生き方をするようになっている。都の周辺では盗賊に襲われたという話もあまり聞かれなくはなった。

だが、安心など出来る時代ではない。だからこそ千太は連れていけないと思っていたが、千太の気持ちも痛いほど分かる分、厳しく突き放せずにいたのだ。

「……わかりました。覚悟はあるんですね」 頼吉が折れた。

恐らく彼もまた、覚えのある気持ちだったのかもしれない。あるいは、戦乱で多くの若者が散っていった世を見てきたからこそ、無鉄砲な若者の「生きたい」という衝動を無下にできなかったのだろう。

頼吉は元より、藤太という元は頼吉の家の家人であった武者崩れの男を、朴念の荷物持ち兼護衛として付ける予定でいたが、千太のために藤太の弟、藤次も同行させることにしてくれた。

護衛についた「藤太(とうた)」と「藤次(とうじ)」の兄弟。兄の藤太は熊のように大柄で、弟の藤次も筋骨隆々としている。朴念より十ほど年上だというが、二人とも親からも生まれ年を聞かされておらず、正確な歳は知らぬという。

二人とも実直ではあるが、礼儀とは無縁の世界で生きてきたらしく、身分など気にせぬ馴れ馴れしさがある。正直なところ頭の回転はさほど速くはないが、善良である事は間違いなかった。

「俺のご先祖は、俵藤太(たわらのとうた)こと藤原の秀郷公なんだよ。俺の名前は秀郷公にあやかったのさ」 藤太が得意げに語る。どうやら初対面の相手への決まり文句の自己紹介らしい。

「へえ、そりゃあ立派ですね。で、弟さんは?」 千太が尋ねると、藤太はあっけらかんと言った。

「こいつは藤太の『次』だから『藤次』だ」

「……へ?」 悲しい事に、藤次の名前は藤太の弟だからという理由のようである。

本人たちは自慢げに話すが、聞く者の笑いを誘うには十分な「逸話」であった。

朴念は、千太を連れて行けることと、多少惚けた所の有る二人の同行に安堵した。彼らならば、いかに間抜けで粗忽(そこつ)な千太であろうと、きっと守ってくれるに違いない。それ以前に、その武骨な顔立ちと、鬼と並んでも見劣りしない体つきの猛者である。盗賊とて、勝てぬ相手には近づく事も無いだろう。

その上で、千太の「思い」を踏みにじらずに済んだことに、朴念は静かに胸を撫で下ろした。

出発の日。春の兆しが見え始めたとはいえ、朝の空気はまだ肌を刺すように冷たい。山門には、旅姿に身を包んだ四人が並んだ。

墨染の衣に脚半(きゃはん)を着け、背には画材とわずかな荷を背負った朴念。その横で、朴念の荷物の半分以上を嬉々(きき)として背負い、「へへっ」と鼻をすする千太。そして、太刀を腰に佩(は)き、頼もしげに仁王立ちする藤太と藤次。

「行ってまいります」 朴念が深く頭を下げると、見送りの老師は短く言った。

「土産はいらん。無事に戻れ」 その言葉だけで十分だった。

「さあ、行くぞ! 日が出る方角、三河へ!」 藤太の太い声が響く。

東の空が白み始め、山々の稜線が金色に輝き出していた。十五歳の朴念にとって、それは二度と戻ることのない少年時代との決別であり、絵師としての、そして僧としての本当の旅の始まりでもあった。四人の影が、朝日に照らされて長く伸びていった。