第十五章 矢作の川下り ~男たちのいない里~

美濃の山中での野宿を経て、一行はついに三河の国の入り口、挙母(ころも/現在の豊田市)へと辿り着いた。

ここからは、三河平野を縦断する大河・矢作川(やはぎがわ)が流れている。山間部ではあれほど曲がりくねっていた道も、ここからは川に沿って南へと開けている。

当初の予定通り、ここからは船で下る手はずとなっていた。連日の野宿と歩き通しで、一行の足は棒のようになっている。船で下れば、河口近くの西条(さいじょう)までは半日もかからない。「やっと足が休まるな」 藤太が安堵の息をつき、川岸に繋がれた渡し船に向かった。

「さあ、乗るぞ」 藤太が荷物を積み込み、朴念もそれに続く。だが、一人だけ乗ろうとしない者がいた。千太である。彼は岸辺の柳の木にしがみつき、青ざめた顔で首を横に振っていた。「いやだ! 俺は乗らねえ! 絶対に乗らねえぞ!」

「なんだ、千太。小便か?」 藤次がからかうと、千太は必死の形相で叫んだ。

「違う! 船なんて板子一枚下は地獄だって、ばっちゃんが言ってたんだ! 俺は泳げねえ! 沈む! 絶対に沈む!」

 「沈まねえよ、馬鹿」

「いやだぁぁぁ! 俺は歩く! 歩いていくぅぅぅ!」

往来の旅人たちが、何事かとクスクス笑いながら通り過ぎていく。藤太はこめかみに青筋を立て、無言で陸へ戻ると、暴れる千太の襟首をむんずと掴んだ。

「ぎゃあ! 人殺しぃ!」

「うるせえ、置いてくぞ!」 藤太は千太を米俵のように小脇に抱えると、そのままドスンと船の筵(むしろ)の上に放り投げた。

「出してください!」 藤太の合図で、船頭が竿を操る。船は岸を離れ、川の中ほどへと滑り出した。

挙母のあたりはまだ流れが速い。船底が波に叩かれ、ドン、と音を立てるたびに、千太は「ひぃっ!」と悲鳴を上げ、船底にへばりついた。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……! 助けてくれぇ、まだ死にたくねぇ……!」 震える背中は、まるで捨てられた子犬のようだ。

朴念は苦笑しながら突っ込んだ。「千太、そのお経はウチの寺のお経じゃないぞ」 その一言に、船に乗り合わせた客たちがドッと爆笑した。千太だけは口をつぐんで手を合わせながら、まだモゴモゴと何かを唱えていたが、また間違えたら恥だと危ぶみ、声を抑えているらしい。朴念はその情けない姿をしっかりと目に焼き付けた。(後で絵にするためである)

それから半刻(はんとき)も過ぎた頃だろうか。船が中流に入り、川幅が広くなると、流れは嘘のように穏やかになった。揺れがおさまり、春の日差しが川面をキラキラと照らす。千太は恐る恐る顔を上げた。

「……あれ? 生きてる?」 おそるおそる船縁から下を覗き込む。水面は鏡のように滑らかだ。

途端に、千太はむっくりと立ち上がった。そして、あろうことか船縁に足をかけ、仁王立ちになって大きく伸びをしたのだ。「いやぁ、いい天気ですねぇ! やっぱり船旅は風情があっていいですねぇ、朴念様!」

「……は?」 朴念は目を丸くした。さっきまでの涙目と念仏はどこへやら。

千太は川風を胸いっぱいに吸い込み、ふんぞり返って鼻を鳴らした。「山道歩きは足が痛くて敵わねえや。やっぱり男はこう、船で堂々と行かねえとな! あ~、これでオラも一人前の男って感じですよね。藤太さんたちもそう思いません?」

「……」 藤太と藤次は顔を見合わせ、呆れ果てて言葉も出ない。船頭でさえ、竿を操りながら肩を震わせて笑っている。朴念は溜息をつき、懐から紙を取り出した。(……この変わり身の早さ。これもまた、絵になるな)

船は順調に矢作川を下り、両岸には広大な田畑が広がってきた。穏やかな揺れと春の日差しに誘われたのか、はしゃぎ疲れた千太は、いつの間にか高いびきをかいて寝てしまった。

川風に吹かれながら、ぼんやりと空を見上げていた朴念に、藤太が話しかけた。「なぁ、坊さんは何で坊さんなんかになったんだ?」 唐突な問いだった。

「坊さんなんか」という言葉には、明らかに腹の内に侮蔑的な意思が滲んでいたが、藤太自身に悪気はないのだろう。むしろ、この旅を通じて朴念に親近感を抱き、友人や弟のような気安さを感じているからこそ出た言葉だ。

朴念は苦笑して答えた。「ははは、坊さんなんか……って、藤太は坊さんが嫌いなんだな」

 「いや、そういうわけじゃねえんだが、坊さんの仕事なんざ、楽しくもねえだろうさ」 藤太は朴念のツッコミに、慌てて手を振って言い訳する。

「いや、別に構わないよ。俺だって老師に拾われるまではそう思ってたからな」 朴念は膝を抱えて、川面を見つめた。

「確かに、つまらん仕事だ。朝起きて、飯を炊いて、飯が食える事を仏に感謝し、飯を食って、寺を片付け、庭を掃き、使いに出掛け、村の者達と話をし、悩み事を聞いて、食い物を分けて貰い、また寺に戻って夕餉の支度をし、食って、そして一日が何事も無かった事を仏に感謝する。そんな繰り返しだからな」

「そうだろ? 坊さんには遊びってのがねえんだよ」 弟の藤次も身を乗り出してきた。

「そのうえあんたは、絵なんか描いてる。読み書きも達者みてえで、暇さえあれば小難しいお経や本など読んでるだろ。そんなんじゃ俺らみてえに遊ぶ閑なんざねえだろう。俺たちにゃ、ぜってえ無理だな」

二人は顔を見合わせて笑った。乗り合わせた他の乗客たちも、聞き耳を立てているようだ。それほど一般人には、若者が好き好んで坊さんになる理由など分からず、興味があるのだろう。

「そうだなぁ……やっぱり老師に拾われる前は、同じ事を考えてたなぁ」 朴念は遠い目をしながら語り始めた。

「俺はガキの頃から絵を描くのが好きでな、家が商い屋で暇もあったから年中絵を描いてた。まぁ、自分で言うのもなんだが、そこそこの出来栄えだったよ。褒めてももらえたさ。だからと言ってそれで飯を食えるとも思ってなかった。商い屋の者は、そういう処が現実的なんだよ」

間を置かず、朴念は続ける。

「そんなガキが、いきなり都の商い屋に奉公に出たらどうなると思う? いやぁ、毎日楽しかったよ。見るもの聞くものみんな珍しくてな。故郷の親父が持たせてくれた銭など、あっという間に無くなっちまった。それでも働きゃどうにかなったんだろうな……だけど、見るもの聞くものみんな珍しいから、それは描きたい物もきりがないってことでな、仕事さえまともにやらなくなっちまったのさ。まぁ、ガキだったからな……仕方ないって言えばそれまでだが……結局奉公先を追い出され、橋の下で暮らすようになったのさ」

「橋の下か……そりゃまた、とことん落ちたな」 藤太が眉をひそめる。

「橋の下に集まっていた奴らは、みんな口を揃えて『仕方ない』って諦め、寝転がってた。それもそうだろう、金もない、頼りもない、たとえふるさとがあろうとも、戻る手立てもありはしない。それでも繰り返される戦の中で、そんな日常に慣れているのか、絶望という悲壮感は無かったなぁ……だが、だからと言って安穏な場所でも無かったよ。そこに屯(たむろ)っていた奴らは、生きるために必死だったんだよ。仲間なんて呼べる間柄じゃない。生きるために騙し、奪い、殺すことさえ『仕方ない』と言って躊躇わない餓鬼どもだったのさ」

朴念は、あの頃の自分が描いていた絵の話はしなかった。それは今の自分だけの秘密だ。「そんな俺を、老師が拾ってくれたんだよ。それは気まぐれだっただろうし、寺が下働きに困っていた(老師が偏屈なのが原因だが)からかもしれないけどな」

「寺の仕事は嫌な事ばかりだよ。奉公先で嫌だった仕事なんか戯言に思えたよ。さっきも言ったが、そんな作務が毎日繰り返される。その上、小さな寺でもないのになぜか(老師が偏屈だからだろうが)下働きは俺だけ……慣れるまでの事は辛すぎて思い出す事もできねえよ。だけどな……」 朴念は言葉を切った。

そして、噛み締めるように言った。

「飯が食えた。生きる事を許された……すげぇありがたかったなぁ……わかるかい? 毎日、辛いだけで当たり前の作務をこなすだけで、たったそれだけのことで、生きる事を許されるって実感……辛い事と有りがたい事が心に同居したんだよな」

藤太たちは黙って聞いていた。乱世を生きる彼らにも、その「実感」の重みは伝わったようだ。

「老師が言うにはな、生きるってのは、そういうもんだと言うんだが、俺にはまだわからねぇんだよ。老師が言うには、言葉でわからずとも身体で分かれば良いというけどな……」

朴念は老師との問答を思い出していた。老師は朴念に世の理(ことわり)、道理を教えていると言うが、朴念はいまだに「分かった」と答えられずにいる。軽々しく「分かった」と言ったら最後、頭にこぶが出来るのは必定だからだ。それでも老師の話の一つ一つはいつも頭のどこかに残ってゆく。心の中で何かをするときに不意にその言葉が浮かぶ。だが言葉に出来ない。それでも身体のどこかにあるのはわかる。なんとも歯痒いが、老師に言わせればそれで良いという。

そんな中でひとつだけ印象に残るやりとりがあった。「食うために働くのか、それとも働くために食らうのか」という問いであった。

朴念ははじめ「働くために食らう」と答え、老師から頭を殴られ「馬鹿者、それほど働く事が大切か、それでは奴婢や牛馬と同じであろう」と罵られた。

また別の日、「食うために働いています」と答えると、「賢(さか)しげな奴だ、おのれは鬼畜か、食う為ならば人を殺める仕事もするのか」と今度は手酷く殴られた。

思い余った朴念が、「わかりませぬ。私はただ腹が減るから食うだけです。食らわねば生きてゆけませぬ。何が正しいか考える事もできませぬ」と、本音を吐いた。

すると、珍しく老師が笑みを浮かべたのだ。『その通りだ。儂(わし)にもわからんのだ。だから考え続けておる。そのために今日を生きておる。今日を生きるために食っておる。食うために我らは務めを果たしておる。そういうことだ』

それは、朴念が「考える事」に目覚め、「考え続ける事」を自分に課した瞬間だった。それは朴念の絵にも大きな影響を与えていた。

「だから老師から僧侶になる修業を始めていいと言われた時は……心底嬉しかったんだよ」

正式に僧侶となる修行を始め、絵を描く事を許された朴念の絵は、それまでと大きく変わっていた。細かい事を見つめるようになったのだ。

落ち葉を描く時、なぜ落ち葉が散るのかを考え、その理由を描かんとした。花が咲く時、そのわけを知ろうとした。虫の躯(むくろ)が地に落ち、蟻が躯を運ぶ様子に道理を求めた。全ての事に道理を求めるようになったのだ。

そして千太を描く時にも、その姿に自らを透かし、その出会いの道理を考えた時、仏の導きという物であろうと思ったのである。

(まあ、こいつが起きてたら、こんな話はできねえがな) 朴念は足元で口を開けて寝ている千太を見て、ふっと笑った。

やがて、潮の香りが微かに風に混じり始めた頃、船は目的の地である西条(さいじょう/現在の西尾市)の西岸にある船着き場に到着した。

「三河の今川……そうか……なるほどな」 船を降り、踏みしめた土を手に取る。都のそれよりも黒く、肥えているように見えた。朴念は合点がいったという顔つきで頷いた。

かつてこの地は、川筋がいくつもに分かれた荒れ地であっただろう。矢作川は山からの肥沃な土砂を運んで堆積させるが、反面、幾度となく氾濫を繰り返す。まして海に面するこの地は、風や高潮による塩害の危険も孕(はら)んでいたはずだ。だが、歴代の人々が手を加え、肥沃な田畑に姿を変えた。矢作川の東岸には吉良氏の吉良郷があり、西岸には今川氏の今川郷がある。今はもう吉良や今川の本宗家の者は他国へ移ってしまったが、この地こそが只野頼吉のルーツである今川氏発祥の里であり、幾多の戦乱を支えた豊かな土地であった。

船着き場では、名主の只野の縁者たちが温かく出迎えていた。「遠い所からご苦労様でございます」 居並ぶ者の中から、長老と思われる男が歩を進め、朴念に深々と頭を下げた。

出迎えた者は、皆白髪交じりの老人と女だけで、遠くに見える人影も子供を背負い、子供の手を引く女たちばかり。風景の異様さに気付くまでに、さほど時間はかからなかった。働き盛りの若い男が見当たらないのだ。

その様子を奇異に感じながらも、一行は案内された名主の館の離れに先ずは腰を落ち着けた。その夜、一行をもてなすためのささやかな宴が設けられた。だがそこにも若い男の姿はない。それについては、そのおかげかどうか、藤太と藤次は若い娘たちから次々に酌をされ、話に花を咲かせて鼻の下を伸ばす有様だったが、さすがに長老と話し込んでいる法体の朴念にすり寄る女はいなかった。

長老の話は、今川家の歴史という処であった。特に尊氏公と共に戦った戦歴を誇る長老の話は、時に胸躍り、時に涙を流さずには聞く事の出来ない、生々しい話だった。その話が一区切りついたところで、朴念は胸に抱いていた疑問を投げかけてみた。

「長老様、ふと気になったのですが、あまり若い方……働き盛りの男を見掛けぬのはどうした事情でしょうか。たしかにここまでの旅路の中でも同様の”違和感”は感じて参りましたが、これほどまでに働き盛りの男の姿を見ないのは、いささか奇妙に感じました」

長老は盃を置き、遠くを見るような目で答えた。「さようでございますか。奇妙に見えますか…まぁ、そう思われるのも仕方ないでしょうな。実際、この村には爺と婆、あとは女子供だけしかおりませぬ。尊氏公が倒幕の兵を挙げて以来、御領主さまをはじめ、多くの若者が戦に身を投じ、そして命を落としましたが、そのお陰で足利様の天下となった今、功為し名を挙げた者達は、新たな領地で新しい生活を始めております。まぁ、本人たちもその方が野良仕事より遣り甲斐があるのでしょう。しばらくは、我ら老人と女どもが“留守”を守るうち、今の幼子が大人になって我らの”墓守”をしてくれるでしょうから…」

長老の言葉は穏やかだったが、そこには戻らぬ者を待つ諦念(ていねん)と、次代へ託す微かな希望が滲んでいた。朴念はふと、自分を送り出した名主・只野頼吉の顔を浮かべていた。

(考えてみれば、頼吉殿の一族も足利様の戦に従い故郷を離れ、今は都の片隅で、新しい暮らしの、新しい責任を背負って生きている。帰りたくても帰れない。帰れば身と心を引き裂かれるかもしれない。それが私に供養の旅を頼んだ真意だったのかもしれない)

戦いに身を投じ故郷を離れ、故郷への郷愁を抱きつつ新たな土地に暮らす。本人がその暮らしに不満がなければ、寂しさこそあるだろうが、決して不幸とは感じないだろう。だが残された者はどうか。忘れ去られたまま生きるしか無いのか。むろんそれは、誰が悪いのでもない。皆、自分の境遇と運命を受け入れて生きているだけなのだ。それだけに辛い。

そこで、少し話題が沈んだことを気にしてか、長老が明るい声を出した。

「そういえば、頼吉殿はお元気かな。私はまだ頼吉殿が幼い頃、何度かお会いしているのですが、恐らく儂の顔など覚えておりませんでしょうな。それでも頼文殿(頼吉の祖父)の墓前に供えて欲しいと、毎年、寺への付け届けと共に儂等にも都の珍しい品をあれこれ送ってくださるのじゃよ。故郷を離れても、故郷やご先祖の事を忘れない……その心が我らには支えなのですよ」

長老の明るく前向きな言葉に、「気遣いをさせてしまったか……」と、自らも他愛のない話に舵を切った。朴念はこの里を襲った悲劇を話として聞いたことがあった。それは南北朝の争いの中、三河の国が幾度となく戦乱の嵐に蹂躙されたという事だ。救いがたいことに、時にそれは同族同士の戦でもあった。

そんな悲劇を見て来ただろう長老が、愚痴も零さず、悲壮感も浮かべずに明るく酌をする気遣いが辛かった。戦ゆえと分かっているが、悲劇を強制されるのはその土地に生きる老人や女子供だ。それはどこにも記されなくとも、古から繰り返されて来た、誰もが知る事実だ。

長老の話は、いつしか村の自慢話へと変わっていた。朴念は笑顔で長老の話を聞きながらも、心の中で「生きるとは何だろう」と漠然と考えていた。

故郷を棄てて生きる者、人を裏切る者、人を危めた者、家族や友人の命を奪われた者。みんな様々な苦しみを抱え、苦しみを経ても尚生き続けてゆく。生き続ける中で、当たり前の様に笑顔を見せる。美濃国で視た焼かれた家ばかりの村や、飢餓に苦しむ村人、繰り返し大軍に蹂躙されたこの里も、耐えがたい悲しみを味わっても尚、人は生きる事をあきらめず、そして幸せを求め生き続けてゆく。

「なぜだろう」 朴念は、それを不思議と感じていた。